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ウチ田舎に住んでたのん

今回も書き溜めたネタを。

のんのんという作品があります。
漫画原作で、アニメは第2期まで製作され多くの「難民」を生み出しました。
僕自身もこの作品のことは好きでして、ニコニコ動画に新作MADが上がってると"おっ"と思って見てたりします。
しかしながら同時に、この作品に対しては複雑な感情を勝手に抱えてしまっていて、時折思い出しては溜息をついてしまったり。今回は、田舎出身上京モンが抱える「地方」に対しての複雑な感情について書こうかと思います。

以前の投稿にも書きましたが、私は九州の片田舎(平野部)の出身で、ゲーム機のない育てられ方をしたこともあって、低学年の頃はよく外で遊びまわってました。(高学年になるとインドア派に)
加えて、諸般の事情で1年間だけ山の中の田舎で過ごしていたこともあり、この時の体験は正にのんのんびよりの世界にそっくりなわけです。
学校までは歩いて1時間、川で水遊びや魚獲り、山に分け入って探検、アケビキイチゴを見つけては取って食べる、雪遊び…
そんな体験をした自分にとって、のんのんびよりという作品は強烈なノスタルジーを喚起しました。それはもう、ド直球で心に突き刺さるくらいに。
楽しかった思い出の数々がまるで走馬灯のように脳裏をよぎり、同時に自分の現状がひどく惨めに映る…
加えて、何もない田舎が嫌いで東京に出てきたにも関わらず、人の多い東京暮らしがつらくなって地方に希望を見出そうとする自分の脳内の矛盾…
田舎暮らしなんてロクなことないと分かっているはずなのに、そこに一種の光を見出してしまう自分が情けなくもあり、矛盾した考えが余計に混乱させるのです。

のんのんびよりに限らず、田舎暮らしを題材にした作品とノスタルジーは切り離して考えることはできない関係にあります。しかし大抵の場合、それは都会育ちの人間から見た田舎の美化に過ぎず、現に地元にいた頃はそういう傾向を目にしては鼻で笑っていたものです。「憧れの田舎暮らし!」とかバカじゃねーの、ってね。
しかしのんのんびよりという作品に出逢って、自分はノスタルジーを感じてしまった。このことは私という存在が、アイデンティティーが変質してしまったことを表しているわけです。その事実に対して、未だにどう受け入れれば良いのか分からない状態なのかも知れません。

一方でのんのんびよりを見て田舎に憧れる都会育ちオタクを目にすると、嘲笑を込めた非常に複雑な感情が湧き上がってきます。何も知らないくせにバカ言ってんじゃねーよ、と。他者をあざ笑うことでしか自分の存在を確立することが出来ないというのは、非常に情けなく悲しいものです。
やっぱり田舎なんて時折帰る(行く)から良いのであって、到底住むようなところじゃない。少なくとも自分の中では、そういう結論に帰結するのかも知れません。

はぁ、なっつんを妹にしたい。越谷兄になってロリなっつんに「おにーちゃんのおよめさんになるー!」って言われたい。

でも、このまま行けばなっつんは商業高校あたりに進学して卒業と同時に就職が関の山。悪い方に転べば、田舎DQN化して成人前に出産…
長女は教員、次女は東京の高校に進学、三女は小1にして奇才の片鱗を見せる宮内家は地方豪族の典型なのに対し、既に明確に差異が描き出されているとも言えるわけです。
もちろんこんなのは偏見マシマシの邪推でしか無いですし、作者の本意でも無いでしょうけど、これが"田舎"の現実なのだと考えてしまい、また溜息をついてしまうわけです。

でもやっぱり、少なくとも作中でのなっつんは可愛い。あとひか姉すこ